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もうひとつのブログ
 だいぶご無沙汰していまっております。フランスのアスベスト問題の動向についてレポートを載せる予定が、法科大学院の授業や、論文に追われて、こっちの方は休止状態ですね。
 言い訳に、ここにもうひとつのブログ、法科大学院の授業のレジュメ(講義概要)やシラバスを掲載しているアドレスを書いておきますので興味のある方はごらんになってください。
 http://pretest.exblog.jp
# by asbesto | 2005-12-10 10:55
疫学的因果関係研究報告原稿
 去る10月9日日本私法学会で報告したものの読み上げ原稿です。アスベストにも関連しているので、掲載しておきます。ちなみにアスベストに関するフランスの対応についての報告は来週あたりからと思っております。



相対危険度 と疫学的因果関係
  山口 龍之                            
 本報告は疫学の概念と法学上の(疫学的)因果関係概念の関連を明確にすることで疫学的調査結果を法律上の因果関係の認定にもとりこめることができるように架橋を試みるものである。
 この目的のために次の3点が議論の対象とされる。
問題点1 寄与危険度割合はどのくらいあったら法学に言うところの因果関係の「蓋然性」があるといえるのか?
問題点2 この寄与危険度割合は現実の部分的因果関係における割合なのか、それとも損害発生の確率なのか?
問題点3 危険物質に暴露しながら未だ発病していない原告の損害賠償の訴えや、「チャンスの喪失」のようなケースをどう扱うべきか?
 しかし、本報告は議論の前提としてまず、現代科学における疫学の概念、とりわけ相対危険度や原因子、危険因子などの概念、これらの複合物であるところの複数の原因子が関与し、疫学でいうところの修飾関係にある場合の議論などが時間の許す範囲内で紹介される 。
 
問題点1 疫学における因果関係あるいは寄与危険度と高度の蓋然性
タバコと肺がんの因果関係に関する疫学の議論
  タバコが肺がんの原因となるということについては、テレビ・新聞などマスコミ報道では周知のことのように扱われている。しかし、われわれは、どこまでこの議論の正当性を知っているのであろうか。
 紙巻タバコの長期間にわたる喫煙が肺がんの原因となるという議論はおおむね次のような統計的議論によって裏付けられている:喫煙者と非喫煙者を比べたとき喫煙者のほうが非喫煙者よりもはるかに肺がんに罹患する確率が高い。もっともこの議論を確認するためには本来なら次のような研究がなされなければならない。
ある任意の集団を二つのグループにわけ、一方のグループには一日20本以上喫煙してもらい、他方のグループには喫煙しないでいてもらう。そうしてこの状態で20年くらいの期間が経過したところで、肺がんの発生率を比較する。(コホート研究)
実際にはかような研究は不可能に近いので、これに代わって症例研究という研究がなされている。(ちなみに症例研究の方がその精度はおちるといわれている)。
それは実際に肺がんに罹患した患者たちの中にどれくらい喫煙者がいるか、という調査である。
 図表1 危険因子の存在による過剰発生分

(ちょっと見づらいかもしれませんが、1は縦線の代わりです。したがって三つの四角の箱があり、左にはXその隣にはY,Yの上はZの箱が乗っています。それぞれの箱の中に”X” ”Y” ”Z”が入っているそれだけの簡単な図表なのですが、何度やって、このブログにもうまく描けません)

1------------------1
1 1
1 Z 1
1 1
1--------------1------------------1
1 1 1
1 X 1 Y 1
1 1 1
1---------------1------------------1

   Z
喫煙者で肺がんで、タバコが原因と疑われるグループ
(80人)
 
   X
非喫煙者で肺がんになったグループ
20人
   Y
喫煙者で肺がんだが
タバコ以外が原因と疑われるグループ
(20人)(
   
 Z+Y=喫煙者で肺がんになったグループ 100人 実際にはZとYの比率は不明 しかし、非喫煙者で肺がんになったものが20人いるのだから(非喫煙者と喫煙者の人口が同じなら)喫煙者の中にもタバコ以外の原因で肺がんになった者が20人くらいいると推定される。
        
X:非喫煙者で肺がんになったグループ Y:喫煙者で肺がんになったいるが喫煙以外の原因が疑われるグループ、Z:肺がんの原因が喫煙であると疑われるグループ

この調査によると肺がんに罹患した者の中に占める喫煙者(一日20本以上20年以上の喫煙暦)の割合(EARPという)は80%を超えているという。そうすると仮に120人の肺がん患者がいて100人は喫煙者だとする。すると20人は喫煙によらずに肺がんに罹患していることが考えられる。なぜなら喫煙者の中にも喫煙以外の原因で肺がんに罹患した者もいるはずでだからある。その数は20人くらいである。そうすると肺がんに罹患した喫煙者にとって喫煙が肺がんの原因であるのは100人中80人だから80%くらいということになる。
疫学的な危険度がこれだけで計られるわけではない。その前提として、次の五つの条件を満たしていることが求められる。
(1)関連の一致性:時間、場所、対象者を選ばないこと。
(2)関連の強固性:関連性の強さを示す相対危険度やオッズ比などの指標が大きいこと。量が増えれば反応も増えるという関係が認められればなおよい。
(3)関連の特異性:疾病には特定の因子が必ず存在しており、これが存在しているときには疾病の発生が予測されるような特異的関係があること。
(4)関連の時間性:因子が疾病よりも時間的に先行していること。疾病の症状を因子と混同しないための要件である。
(5)関連の整合性:因子が疾病の原因として矛盾なく説明できること。
 もっとも(3)の特異性の条件は、疾病が必ずしも一つの因子によっているとは限らないこともあり、条件を満たすことは難しい。肺がんに関して言えばタバコのみが肺がんの原因であるわけではない。そこで(3)の条件は緩和されて解釈されている。(3)は十分条件でも必要条件でもない、というわけである。
 
 疫学は病気の原因となる危険な因子を統計的な処理をすることで発見・同定してきた。危険因子とは病原菌や病原ウイルスとは限らないのである。喫煙は肺がんを誘発する危険因子ではあるが、喫煙習慣が肺がんの原因と呼びうるかについては議論があるところである。それゆえ疫学では「原因」とは呼ばず「危険因子」と呼び、「原因」という用語の使用を意識的に避けてきたのである。もっとも高度の危険因子が病気の発生に寄与していることに変わりはない。
さて、こうした条件を満たしたとき、たとえば肺がんに罹患した喫煙者はその原因をタバコ会社に問うために因果関係を証明できたと主張することができるであろうか?
 因果関係の証明度には高度の蓋然性が要求される。
そこでわれわれの関心は、たとえば80%の危険度(あるいは非喫煙者より喫煙者の肺がんになる倍率が5倍高い)は、法学上の因果関係を認定するのに十分に高度な数値と解することができるのか、法学上の因果関係を認定するのはいったいどのくらいの危険度があったら、「高度の蓋然性がある」として因果関係を認定してよいのだろうか?法学上の因果関係の認定に数値を持ち出すことは許されるのだろうか?もし、許されるとするならば、何パーセントくらいの危険度をもって「高度な蓋然性」と認定するのであろうか?
 ちなみに疫学的解釈をする者の間では、民事裁判における証明の度合い(証明度・心証度)は、わが国での「高度の蓋然性」の議論ではEARPが80%を超える(RR=5.0)ものをいい、米国での「証拠の優越」の議論はEARPが50%を超える(RR=2.0)ものをいうのではないか、といわれている。EARP が50%を超えるくらいというのは、たとえば肺がん患者の中に喫煙者占める割合が2倍のことをいい、喫煙者で肺がんに罹患したら、喫煙が原因である確率は50%を超えているということを意味している。(図表1に照らせばYとZの大きさが同じとなる)

問題点2は、現実世界に生起する疾病は往々にして複数の原因に起因している。複数の原因が競合しているとき、それぞれの危険度は原因であったことの確率なのか、それとも幾つかの原因が競合しているので、それぞれの原因が結果に影響を与えている割合ないし部分を示すことになるのであろうか。
相対危険度と複合原因子
複数の危険因子が存在し相互作用をする場合
 複数の危険因子が作用する場合には、ある因子が他の因子の影響(これを疫学では修飾という)を受けない場合ばかりではない。互いに競合して危険が飛躍的に増加する場合や、あるいは危険はそれほど増加しないことがある。この場合に影響を与える因子のことをeffect modifier(修飾因子)と呼ぶ。
R:因子X、Yのいずれかに(あるいは両者に)曝露されている場合の相対危険度
図表2                      
                  因子X
             曝露なし     曝露あり             
 因子Y  曝露なし      1      R10
      曝露あり     R01      R11
X に曝露すれば発病の危険が3倍、Yに曝露すれば発病の危険が2倍のとき、両者に曝露すると発病の危険は6倍になるのが通常である。 
  例1  1   3 
      2   6  例2  1   3 
     2  10
                         2x3<10
  例3  1   5
      2   6  例4  1   5
     2  10
       2x5>6
このとき、R01xR10がR11に等しければ、(互いに影響を与えていないので)YはXのeffect modifierではない(例1、4)が、等しくなければeffect modifierである(例2、3)。例2では、2x3>10で正の修飾が働いており、例3では2x5>6で負の修飾が働いている。例1ではXの因子に暴露していれば、罹患の確率は3倍、因子Yでは2倍だから、通常なら両者に暴露すれば罹患の確率は6倍である。それよりも罹患の確率が大きくなる場合を正の修飾、小さくなれば負の修飾と呼ぶのである。
 因子XのEARP(暴露群寄与危険度割合):
  Y曝露なし   (R10‐1)/R10
  Y曝露あり   (R11-1/R01)
例1      例2       例3     例4
(3-1)/3=67% (3-1)/3=67% (5-1)/5=80% (5-1)/5=80%
(6/2-1)/(6/2)=67% (10/2-1)/(10/2)=80% (6/2-1)/(6/2)=67% (10/2-1)/(10-2)=80%

例2および例3では、因子XはYの曝露なしでは曝露群寄与危険度割合がそれぞれ67%、80%であったものが、Yの曝露によって、それぞれ67%->80%、80%→67%に変化している。この増減は、Yの影響によるものであるから、例2および例3においてYはXのeffect modifierと呼ばれることになる。
 たとえば、法的に責任が問題となっている被告側に起因する危険因子をXとし、Yをeffect modifierで原告側に起因する危険因子ないし負の危険因子とすると、例2では、Yの曝露によって危険はXとYの危険因子が単に並存する以上に増大したことになる。
例えば 仮に杉花粉症をめぐって、Xを杉花粉、Yをマンション居住とすると、例2のような結果がでれば、杉花粉症は、杉花粉のみならず、マンション居住によって飛躍的に悪化したこととなる。それゆえ、杉花粉症では、杉花粉の暴露は避けられないとしてもマンション居住をやめることで症状が改善することが予測されるのである。また、逆に例3にあてはまる事案として、喘息を疾病、Xを大気汚染としながらも、Yを喫煙の慣習として、それらが例3の場合に当たるとするならば、喫煙は喘息の危険因子としてあるにしても、大気汚染との関係では負の修飾因子としてある、ということになる。
大気汚染の喘息に対する寄与危険度は喫煙者の場合の方がはるかに小さくなり、因果関係において、高度の蓋然性を80%以上の危険度とすると、喫煙者・非喫煙者の双方を合わせた統計では、大気汚染は喘息の高度の危険因子(80%)であったものが、喫煙と喘息の統計および、これと大気汚染を合わせた統計では、喫煙者の場合、大気汚染は喘息の原因とは認定できない(危険度が67%にすぎない)といった結果を招きかねないことになる。そこでEARPは確率ではなく結果に対して原因子が与えている影響度と考える発想が出てくる。
 こうした状況下で特定の物質を原因物質として訴訟を提起した場合、疾病という結果に対して裁判所はいかなる割合で、あるいは割合を認定することなく因果関係を認定すべき(あるいは認定すべきでない)のだろうか?

問題点3 危険物質に暴露しながら未だ発病していない原告の損害賠償の訴えや、「チャンスの喪失」のようなケースをどう扱うべきか?
1 PE/PS訴訟
post-exposure, pre-symptom被曝したが発病していない人々の様々な訴えのことである。米国では、PE/PS訴訟において、疾病のリスク増加に対する賠償 、病気の恐れ 、「生命の質」低下に対する賠償を求めて訴訟が争われている 。
PE/PS訴訟が米国で最初に注目を浴びたのは1987年ニュージャージ控訴審裁判所のAyes v. Township of Jackson 事件 であろう。水質汚染によって汚濁された水を飲んでいた原告団(339人)に対する医学上の監視体制(水による疾病の監視)のためのコストなどを町に対して請求した事件である。原告の中には発病した者はまだいない。
Ayes v. Township of Jackson 事件
第一審では原告勝訴、控訴審も若干の修正はしたものの原告が勝訴した。ニュージャージ州最高裁も、おおよそ原告勝訴の判決を出した。すなわち(1)発ガン物質その他の化学物質による心情的損害(emotional distress)についてはこれを認めない、(2)住民の「生活の質」(quality of life)が20ヶ月も井戸水などの水のない状態(水道水ももちろんなかった)こと(539万ドル)、(3)有毒化学物質の曝露による、将来の疾病の「危険の増加(enhanced risk)」に対する健康診断のための費用については、賠償(総計約820万ドルを339人がそれぞれの被曝の度合いに応じて支払われる)を認める原審の判断についてはそれぞれ損害額について確定不能な部分があるとして一部認容、一部棄却の判断を示した。
事実は次のようなものである。町が1972年新たに廃棄物処理場(ゴミ捨て場)とした地域は環境保護局DEP(Department of Enviromental Protection)から仮の許可を得たものではあるが、それには工場から出る液体およびゲル状の物質の処分までも許可するものではなかった。町は、しかし、このサイトを十分に監視することをしなかった。町がDEPの条件を遵守していなかった証拠がある。
原告の鑑定人によると、近隣住民の井戸水はアセトン、ベンゼン、クロロベンゼン、クロロフォルム、メチル水銀、トリコロエチレンその他の化学物質によって汚染されるようになった。これらの物質はおそらくごみ処理場から地下に浸透して原告らの井戸に到達したものと推測される。毒物学者によると発見された化学物質のうちの12は発ガン物質として知られている。そのほか肝臓、腎臓に有害な物質、遺伝子を破壊し、出産等の能力を減退させる物質、皮膚に有害な物質、神経組織に有害な物質なども発見されている。鑑定人はこうした化学物質の被曝を原因とする疾病は、年毎の検査によって早期の発見が可能であり、それによって看護、回復あるいは余命の延長が可能であるという。
 この判決の問題点
@被害発生前に賠償できるのか?(判決は割合的責任による賠償を拒否、しかし検査費用の請求は認める)
@疾病の危険も損害と言えるのか?判決は否定。学説には、疾病に罹患する危険の増加が、ある程度以上になれば賠償は必要なのでは?疾病の自然発生率がx%のとき、暴露によって2x%になれば賠償してもよい(他の判例)にはどのような根拠があるのだろうか?

2 危険の増加の議論
 危険の増加の議論とは、発病の可能性が被曝前よりも増加したなら、それ自体を損害と捉えて賠償していこうというものである。
a 新たな提案(割合的責任論)
.Joseph King教授の提案は次のようなものであった。
まず、第一の計算は、たとえば20歳の交通事故かなにかの被害者がいるとするとき、彼または彼女はこの事故のせいでいつか視力を失う危険があるとする。視力の喪失はこの者に100,000ドルの損害をもたらすとしよう。失明がいつおこってもおかしくない確率が30%なら損失は30,000ドルと計算すべきである。
次に第二の計算である。50歳で失明する可能性が25%、40歳なら4%、30歳なら1%としてみよう。ちなみに失明しない可能性は70%である。50歳で失明したときの損害が、100、000ドル、40歳で失明なら200,000ドル、30歳なら300,000ドルとしよう。現在20歳の被害者が請求できるのは、100,000ドルの25%と、200,000ドルの4%と、300,000ドルの1%と0ドルの70%で36,000ドルということになる。
 b 割合的責任論に対する批判
 割合的責任論に対する批判の第一は、原告がその後発病した場合、結局発病していない者も賠償を得ているので不服はないだろうが、発病した被害者はさらなる賠償を求められないという不都合が生じないかという点である。第二には、メディカル・サーベイランス費(年毎の検査費用)のように、いつまで続くかわからない費用をどうやって認定していくのか、被告は賠償を払い続けていかなければならないのか、という点である。後者については、古典的不法行為であっても認められる余地があるので、ここでは取り上げない。問題は第一点であろう。
割合的責任の理論は、現在なんら疾病に苦しんでいなくとも賠償が認められ、発病の可能性が50%を切っていても賠償され、たとえ発病していても発病との因果関係が寄与危険度割合で50%を切っているときでも、全部ではないにしても賠償されるという考えに対する疑問である(古典的不法行為の理論では50%以下なら因果関係は認定されない)。
この問題の背景にあるのは、割合的因果関係(部分的因果関係)を認めようという点である。10年後、20年後に発病しても、原因は被爆と部分的に因果関係ありだから責任ありという認識である。「危険の増加」は疫学的に言えば、その後のさまざまな危険因子の被爆によって発病の可能性が飛躍的に増加したり、そうならなかったりするのである。ようするに発病の原因は被爆に特定されない限り責任は認められないという発想をすてよ、ということなのである。
 しかし、この論争は未だ決着を見たとは言いがたい。

3 チャンスの喪失の議論
  1 チャンスの喪失の理論とは、
チャンスの喪失の理論とは、主として医療過誤の分野において医師の懈怠によって検査やその他の処置がなされなかったために救命あるいは延命の機会を喪失したという場合の賠償のための理論である。ここでは議論を簡単にするために患者は死亡したとしよう。そこでは、検査や医療処置がなされたとしても治療によって患者が回復したという保証がないとき、すなわち医療処置の不作為と損害との間の因果関係の証明が証明度の要求を高くすると困難になるとき、そのままでは賠償を得られないことになる。そこで必要な検査をしなかったことや、処置をしなかったことが被害の危険性を増加させたと捉えることで因果関係を認定しようとするものである。事実上の因果関係の証明の緩和となる 。たとえば必要な検査をしたとしても救命の可能性は50%よりも低かったというような場合、証拠の優越の理論を採るとしても検査の不在と患者の死亡との間の因果関係は証明されたことにならない。ところが、チャンスの喪失の理論なら生存のチャンスを減少させたこと自体が損害だから、必要な処置の不在と損害との間の因果関係は認定できることとなるのである 。
たとえば、検査することを懈怠したことによって、患者が生存し続けていたであろう機会を20%(検査していたとしても生存できた可能性は20%にしかすぎないという疫学的調査研究 )失ったなら、この20%の生存のチャンスを損害と解するものである 。
この考え方は原因と結果の間の因果関係が20%だけ証明できたとする部分的因果関係の理論と似ておりながら否なるものである。チャンスの喪失の理論の射程は広く、たとえばオートバイの運転者がヘルメットをしていたら、損害はより小さなものであった、といった場合にも応用が可能である。
2 チャンスの喪失の理論の位置づけ
まず、チャンスの喪失は不作為を扱う議論である。また実際に起こらなかったことが、もし起きていたら被害者の権利は侵害されなかったであろうという仮定的議論である。ところが、この不作為が無くとも患者は死亡した可能性がある場合、その可能性、その確率こそが、奪われたチャンスということになる。それは視点を変えれば、患者の死因における不作為による侵害は部分的にとどまる。けだし、かかる侵害がなくとも患者が死亡したであろう可能性(患者は必要な処置を施されていても死亡した可能性)があるからである。奪われたのは処置をすれば「助かったであろう可能性」である。それゆえ、「奪われた」という部分に注目すれば、それは生存の権利に対して侵害は部分的であり、奪われたのは生存の「可能性」という部分に注目すれば、それは確率的である。
小括
 PE/PS訴訟やチャンスの喪失の理論において注目すべきは疫学的因果関係が「実際には未だ発生していない損害」を対象としたり(PE/PS)、あるいは、「ある処置がなされていたならば、もしかしたら違った結果となっていたかもしれない(チャンスの喪失の理論)」のように仮定的な条件のもとで、異なる結果となっていたであろう可能性を疫学的手法で探ろうとするものである。
 
本報告の結論
問題点1にいう相対的危険度割合とは、疫学的調査では100%の危険度ということはほとんどなく、ある事象(原因)に呼応するかたちで発生する次の事象(結果)はあくまで確率的数値でしかないという点である。法学はこの調査結果に対して何か質的な変化を要求することで法学的な意味での因果関係を認定しようとしているのだろうか?
問題点2は、現実世界に生起する疾病は往々にして複数の原因に起因している。疫学的調査結果が示す数値を疾病の原因である確率ととらえるか、それとも疾病の原因の一部と解釈するかで、法学における因果関係の認定は大きくことなってくる。実際にも米国ではアスベストを原因として起こした肺がん患者の訴えが患者の死後解剖において患者の喫煙による癌とアスベストによる肺気腫・癌の双方が患者の肺で発見されるという事態も起こっている。そこで、疫学的研究の結果をいかに解釈するかが問題となる。
 問題点3は、議論の前提となる因果関係が実際にはまだ起こっていない場合、および、もしかような因果関係が正起していたら、という(仮定的)問題に対する解答を求めるものであるが、ここでも統計上の予想が仮定の問題に対する一定程度の起こらなかった事象あるいはまだ起きていない事象に対する予測値を提供する。
 本報告の主眼は、疫学的調査・研究が、法が適用される具体的事案において、新たな法の解釈と評価の可能性を与えてくれるものであると考えているところにある。本報告の意図はここに提示した問題のすべてについて確定的な答えを提供することにはなく、あくまで科学の進歩によって新たに開かれた地平において、いかに法がその世界を法化していくか、その入り口を示すことにあった。法曹による熱い議論がまたれるところである。
# by asbesto | 2005-10-21 10:16
ブログの更新が中断しているわけ
 10月9日に学会報告をする都合(疫学的因果関係のタイトルでします)で、準備に追われて、ブログの更新が遅れています。思いのほか、時間がかかっているもので。楽しみにされている方は、ごめんなさいm(__)m 古い記事も沢山あるから、それを読み直していてください(笑)
 ちなみにフランスではシラク大統領が緊急入院(もう退院しましたが)してから次の大統領が誰になるのかで話題沸騰ですね。私の印象(フランスの雑誌テレビなどからの印象)では、現首相で官僚出身のドヴィルパン氏より、ニコラ・サーコズスキー元内相の人気が高いような気がしますが・・・(閑話休題)
# by asbesto | 2005-09-21 22:32
フランスにおけるアスベスト
 どこまで書けるか分かりませんが今日からフランスにおけるアスベスト(フランスではamianteと言います)に関する議論を少しづつ紹介していこうと思います。
 まず、時系列は逆になりますが、フランスがこの問題に大きな決着をみたのは1997年国会(senat)にアスベストに関する決定的な報告が提出されてからでしょう。
 日本が今更ながらに問題としていることについて、結局8年前に決定的な方針が出たことになります。アスベストの危険性、使用状況、除去の問題、代替製品の問題、労災などが俎上に載りました。この問題や狂牛病の問題についてフランスの法学部教授と議論する機会がありましたが、彼はアメリカのように訴訟で解決していくことには否定的でした。政治的な解決が妥当と考えていましたし(1999年か2000年のことです)事実フランスはその方向で動いていきます。
 しかし、大雑把な話はこの辺にして、次回から少しづつ、何がどう議論されたのか、まず提出された報告から見ていくことにしましょう。
 なお、ここで扱う報告については次のウェッブでも見ることができます(ただしフランス語です)http://www.senat.fr/rap/o97-041/o97-041.html
なお、初めて読まれる方は、8月の一番古い記事から読んで下さい。米国での、また疫学との関わりが説明されています。
# by asbesto | 2005-09-10 01:29
ひとりごと
 フランスではアスベストの除去について数年前から大きな社会問題となっていました。特に学校施設におけるアスベストの除去について、放置しておくことのできないものとして、除去の方法などについて熱い議論がなされていました。実はこのころから、法律学の世界でもアスベストをテーマにした研究の必要性が指摘されていました。私も在仏での研究中にずいぶん資料やら研究をしました(その成果の一部がこのブログです)が、ロースクール問題が起こり多くの人たちは研究から遠ざかってしまったようです。残念なことです。
 ちなみにロースクール問題というのは、日本の法学教育が法曹育成のためにロースクールを作るというので、多くの研究者が、その準備に駆り出され、研究が停滞してしまったという現象のことをいいます(ロースクール問題という名称は私が勝手につけましたが、こういう認識を持っているのは私だけではないと思います)。
 左の小さな写真は千葉大学での私の研究報告の模様です。
# by asbesto | 2005-09-02 15:04
写真

むかって左が私です。右は私の親友のPeter GILESフランクフルト大教授。
# by asbesto | 2005-08-17 14:41
アスベスト
アスベスト
アスベストについてはわが国ではほとんど訴訟になっていないので(少しはありますよ)米国で現れた訴訟上の問題を私のブログで紹介しておきましたので、よかったら見てください(^^)
全体を順に読んでいくには一番古い記事から読んでください。そうしないと、わかりにくいと思います(^^)
# by asbesto | 2005-08-13 21:37
発病の恐れ(つづき)Ayers事件後
Ayers事件後
この判決後の数年間に多くの同様の判決が続いた 。
学説も、この判決を契機に従来のコモンローにおける不法行為による損害賠償とは異なる新たな基準を作ろうという主張が有力になる。学説には多様なものがあるが、それは割合的責任を認めていこうという点に概ね集約される。これに対して、割合的責任を認めることになると、「危険の増加」に対する賠償がなされるが、それは(1)後に発病した者に対しては賠償が不足し、発病しない者に対しては余分に賠償することになる、(2)寄与危険度が10%ないし20%のように50%より小さなものに賠償を認めると、コモンローの原則に反することになる、(3)損害賠償が本来損害の回復を目指すものであるのに、将来のリスクのように未だ発生していない損害をあらかじめ賠償することにならないか、そうなればコモンローの趣旨になじまない、といった点に批判が集中している。
学説の対立は今も続いており決着をみていない。

しかし、1997年にはMetro-North Commuter Railroad Co. v. Buckley がまったく別のアプローチを選択した。この判決ではPE/PSの原告は精神的ストレスもメディカルモニタリング(サーベイランス)の費用を連邦雇用者責任法から捻出できる場合があるとしたのである。しかしモニタリングの費用が捻出されるには、少なくとも原告が疾病に感染する可能性が確率上50%を越えていなければならず、そうでない事案においては不法行為法によるこうした訴えは適当でないとしたのである。
Buckley氏は鉄道会社で働くうちにアスベストに被曝した。Buckley氏はアスベストに関して知るうちに自分はガンになるのではないか、との危惧を抱くようになる。もっとも医療検査ではアスベストに関わる疾病の徴候は何も見つかっていない。それでもBuckley氏は連邦雇者責任法(Federal Employers’ Liability Act,FELAと略される)による雇用者の「過失(negligence)」による賠償を求めて訴える。連邦および各州の労働者保障法は、いわゆる排他的救済条項をもっている。これは使用者の無過失責任を負うことの代償として労働者の不法行為クレーム(訴訟)を規律したものと解されてきた 。
それは鉄道員が雇用者の過失によって被った損害(injury)の賠償を定めた法である。Buckley氏によれば精神的ストレスと将来の医療検査費用が損害である。連邦第一審裁判所は原告の訴えを棄却する。原告は被曝によって何らの物理的な損害を被っていない、FELAは精神的ストレス(emotional distress)を損害とは認めていないというのがその理由であった。第二巡回控訴審裁判所は粉塵にまみれることが「物理的衝撃(physical impact)」であるという判例 (Gotshall判例とここではよぶ、詳しくは注に事件の概略を掲げてあるので参照されたい) を根拠に精神的ストレスを、将来の医療検査費もこの粉塵による物理的衝撃で必要になったとして認容した。

ところが、連邦最高裁は、①Buckleyは精神的ストレスによる賠償が認められるには氏が何らかの症状に見舞われていなければならないとした。また、②Buckleyはメディカル・モニタリングが必要な根拠を示していないと判断した。①について:争点は(a)BuckleyがGottshall判例のいうところの「物理的衝撃」と言えるほどの損害を被ったかである。FELAにいうところの損害はコモンローのそれと変わらず、人間性に富み、損害の回復についてはコモンロー以上に自由である。それでも責任が発生するのは過失があった場合に限られる。鉄道会社は被用者の保険会社ではないのである。それゆえ、条文にないものについてはコモンローの法理に従うことになる。コモンローでは、精神的ストレスに賠償が認められるのは、特殊なケースのみである。精神的ストレスが認められるためには、物理的な傷害を被っているか、被告の過失によって物理的損害が直ちに帰結されるような場合でなければならない。(b)Gottshall判例がいうところの「物理的衝撃」 は問題となっている物質との単なる物理的接触を意味するものではない。物理的接触によって後に疾病を起因し、疾病の危険の脅威を与えるようなものでなければならない。そのためには「危険領域のテスト(zone of danger test)」とよばれる物理的接触が直ちに傷害を引起す危険のあるものでなければならない。また、Buckleyのケースのように症状も病気も表れていないものであってはならない。などなどの要件をあげている。(c)Buckleyの被曝によるリスクの問題は、実際に精神的ストレスが症状として表れているようなものでなければならない。
②のメディカル・モニタリングについては、控訴審が精神的ストレスと連動してメディカル・モニタリングを認定しているが、最高裁は精神的ストレスを認定していないので、メディカル・モニタリングもまた認めることができないこととなる。もちろん、検査費用が保険料の高騰をもたらさないような小額である場合は別である。また、すでに症状の出ている原告の場合も別である。
 
連邦最高裁の判決が出たことで今後の判決がどのように動いていくか、ということについては、筆者にはわからない。労災補償と不法行為訴訟の関係がどのように変化していくのか 、米国の法曹における保守的な動きがますます力を増していくのか、それとも新たな理論が構築され、それを突破口として別の地平が現れるのかどうかは、わからない。ただ、ここで比較法として我々の興味を誘うのは、「危険の増加」などの一連の判例を契機として提唱された新たな基準(new standard)の議論であろう。以下新たな基準について紹介しよう。

原告は被告の行為によって発病など損害の危険が倍増したことを証明しなければならない 。

ここではいままでの議論の繰り返しになるが、危険の倍増の意味を説明しておこう。危険の倍増とは、疫学でいうところの相対危険度が2以上ということを意味する。しかし、相対危険度が2であっても、それが直ちに発病の大きな可能に結びつくものではないことは、すでに見てきたとおりである。喫煙のように相対危険度が5を超えているものであっても、肺がんの罹患率は次のようになる。
肺がんの罹患率が一般には100人に1人だとすると、ヘビースモーカーが肺がんに本当に罹患している確率はどのくらいであろうか。約3.88%である。肺がんの罹患率を100人に5人にすると約17.3%、100人に10人にすると約30.8%になる。
 ところがある物質に被曝したことが原因で発病したと疑われる場合、この相対危険度が喫煙のように5を超えていると、80%の確率で原因であると推定されるのである。もっとも被曝しただけで発病していなければ、発病の可能性は前記のように80%よりも低いのである。

原告は問題となっている物質によって危険が倍化したことを証明しなければならないが、発病の危険が発病しない可能性を超えていることを要しない。原告は原告自身にとって危険を倍化したことを証明しなければならないのであって、一般論としての危険の倍化では不十分である。


「危険の増加」の基準についてのKlein教授のまとめ
被告の活動で増加した危険を被告の負担とすることは、活動にともなう危険コストの内部化であり、それはもちろん功利主義者から支持されるところのものである。「危険の増加」を認める新たな不法行為法の理論は割合的責任を不可避的に前提としている。物理的損害を賠償するのではなく、被曝によって増加した危険を賠償する理論が受け入れられるためには三つの関門を通過しなければならない。第一に、割合的責任は結局その後発病する原告に対しては充分な賠償をしないことにならないか、第二に、割合的責任では原告個々人に対する因果関係の認定があいまいになり、クラスアクションを典型とする処理にはしりすぎることにならないか、第三に、「危険の増加」からメディカル・サーベイランス費用な将来のコストの支払を判決として求めていくことには、判決の実行性という視点からは無理があるのではないか、という三点である。
割合的責任の基礎には「危険の増加」の理念がそのまま横たわっているというのが、割合的責任のもっとも最初の提唱者Glen Robinson教授の説明である。被曝によるリスクが損害を喚起する可能性があるというのなら、その時点で損害の可能性そのものを、「損害」と「損害に対する可能性の確率」の「積」をもって賠償することはいいのではないかというわけである 。この発想は部分的あるいは割合的因果関係と日本で呼ばれているものに呼応することはいうまでもない。
たとえばBigCoとよばれる会社が1000人に10%から30%の確率でガンを発病するとされている物質を被曝させたとしよう。割合的責任の理論では発病した場合の損害の20%を直ちに賠償請求できることになる。こうすることで被告は将来のコストを直ちに内部化することができるし、それによって過重な賠償責任を負わされることもなくなる。
将来の被害者、あるいは現時点の原告にとっては、それは将来賠償を得る機会の喪失にはならない。けだし原告が損害を被るリスクは、現時点での損害そのものだからである。現時点で賠償の可能性を請求するのと、発病してから全損害を賠償するのは、同価値である。
こういった発想はチャンスの喪失の理論と同じである 。
# by asbesto | 2005-08-13 21:07
発病の恐れ
以下『植木哲教授還暦記念論文集』(信山社2004)中の山口論文より修正掲載


PE/PS訴訟とは、被曝後発症前訴訟(Post Exposure, Pre-syndrome)という意味である。危険物質に被曝したが、まだ病状が現れていない状態(発症前)のことをPE/PSいう。我が国ではじまっている予防接種時(あるいはツベルクリン反応をみるための)の注射針使い回しによるB型やC型肝炎においてウイルス感染はあるものの肝炎や肝臓ガンなどが発症していない状態での訴訟のことをいう。そこでは、発ガンまで含めた損害が賠償されるべきか、それとも発ガン前の発ガンの恐れに対して賠償がなされるべきか、といったことが議論される。米国ではじまったこうした訴訟について、以下に米国での議論および訴訟を紹介しよう。
こうした人々は、疾病のリスク増加に対する賠償 、病気の恐れ 、「生命の質」低下の訴え 、それにもっとも訴訟戦略的に成功している健康診断費用の負担の訴え(recovery for the costs of medical monitoring 以下メディカル・モニタリングとよぶが、学説判例にはこれをメディカル・サーベイランスと呼ぶものも多い)であろう。
メディカル・モニタリングが最初に注目を浴びたのは1987年ニュージャージ控訴審裁判所のAyes v. Township of Jackson 事件 であろう。水質汚染によって汚濁された水を飲んでいた原告団(339人)に対する医学上の監視体制(水による疾病の監視)のためのコストを町に対して請求した事件である。原告の中には発病した者はいなかった。

Ayes v. Township of Jackson 事件
第一審では原告勝訴、控訴審も若干の修正はしたものの原告が勝訴した。ニュージャージ州最高裁も、(1)発ガン物質その他の化学物質による心情的損害(emotional distress)についてはこれを認めない、(2)住民の「生活の質」(quality of life)が20ヶ月も井戸水などの水のない状態(水道水ももちろんなかった)こと(539万ドル)、(3)有毒化学物質の曝露による、将来の疾病の「危険の増加(enhanced risk)」に対する健康診断のための費用については、賠償(総計約820万ドルを339人がそれぞれの被曝の度合いに応じて支払われる)を認める原審の判断についてはそれぞれ損害額について確定不能な部分があるとして一部認容、一部棄却の判断を示した。
事実は次のようなものである。町が1972年新たに廃棄物処理場(ゴミ捨て場)とした地域は環境保護局DEP(Department of Enviromental Protection)から仮の許可を得たものではあるが、それには工場から出る液体およびゲル状の物質の処分までも許可するものではなかった。町は、しかし、このサイトを十分に監視することをしなかった。町がDEPの条件を遵守していなかった証拠がある。
原告の鑑定人によると、近隣住民の井戸水はアセトン、ベンゼン、クロロベンゼン、クロロフォルム、メチル水銀、トリコロエチレンやその他の化学物質によって汚染されるようになった。これらの物質はおそらくごみ処理場から地下に浸透して原告らの井戸に到達したものと推測される。毒物学者によると発見された化学物質のうちの12は発ガン物質として知られている。そのほか肝臓、腎臓に有害な物質、遺伝子を破壊し、出産等の能力を減退させる物質、皮膚に有害な物質、神経組織に有害な物質なども発見されている。鑑定人はこうした化学物質の被曝を原因とする疾病は、年毎の検査によって早期の発見が可能であり、それによって看護、回復あるいは余命の延長が可能であるという。
1978年11月、Jackson町のLegler地域の住民は地域の健康委員会(Board of Helth)から地下水の水を飲料しないように、また洗濯、風呂場などでも使用しないようにとの勧告を受ける。この勧告は健康委員会が地域の複数の井戸水を検査した結果、地下水が化学物質に汚染されていることが判明したことによる。この直後から町は水タンクをタンク車に積んで地域に赴き、住民が各自の容器で水を受け取るという方法で水の配給を始めた。
しかし、その後、水の家庭への配給システムが構築される。それは、各家庭は水が必要になると、郵便箱に白い布切れを結んでおくことで40ガロン入りの水袋が配られるシステムである。原告側の証言によれば、この水袋は重さが100ポンドにも達し、郵便箱近くに置かれているものを家の中に持ち込むだけでも住民には大変な苦労であったという。この地域の住民の中にはこの水袋を車庫にいったん持ち込んで貯蔵することをためした者もいたが、冬には凍り付いてしまい不便であったという。また、家の中に持ち込めたとしても、二階に風呂場のあるものは、そこまで運ぶのに苦労したという。たまに水袋の中にごみなどが入っていることがあり、交換されることもあったという。こうした状況はおよそ2年にも及んだ。
判決要旨
①生活の質について
この生活の質の損害に対して陪審は5,396,940ドルの賠償を認定する。これは
は各原告おおよそ16,000ドル強、四人家族で6,4000ドルになる。
控訴審裁判では、被告は、ニュージャージ不法行為クレーム法(New Jersey Tort Claim Act)は地方公共団体に対する「苦痛と苦悩(pain and suffering)」に対する1000ドル以下の賠償責任を免除していることを根拠にこの請求を拒否できると主張した。そこで、この法規にある適用除外規定が問題となった。すなわち、身体の機能喪失、身体の変形、医療費などに当てはまるか否かである。
州控訴審も州最高裁も、この法規の規定の趣旨と本件の損害に質的違いがあるとして被告(被控訴人)の主張を退けている。

②精神的ストレス(emotional distress)について
次に精神的ストレスに対する賠償であるが、陪審は2,056,480ドルの賠償(各人おおよそ40ドルから14,000ドルの賠償)を認めているが、この点については、州最高裁は否定している。どの原告も精神的ストレスを被ったことによって、何らかの症状が現れた、あるいは医療的な診療が必要とされたとする証拠を提示していないし、精神的ストレスの診療に当たったという医師の証言もない。原告らは不安、ストレス、恐怖感、憂鬱などを体感しており、その原因は長期間にわたり直接汚染された水を飲料してきたこと、また家族も飲料してしまったことに原因していると主張している。
原告は精神科医Dr.Margaret Gibbsが原告のうちの成人88人に対してストレスや憂鬱症、自己制御、性格などについて、さまざまな精神科のテストを試みたところ、異常に高いストレス、鬱、健康への不安、精神的不安定などの症状を示したという。医師によれば原因は汚染された水であるという。
控訴審では被告(被控訴人)は陪審の評決に対して次の理由で反対する。①原告の主張はなんらの物理的症状が原告らに現れていることを証明しなければならないことにつき判例がある(Portee v. Jaffee, 84 N.J.88,93,417 A.2d 521(1980)など)こと、②ニュージャージ州不法行為クレーム法は、物理的な損害がないのに精神的ストレスのみで賠償を認めるものでないこと、などをその理由に挙げている。
州最高裁は、被上告人の主張を受け入れて、陪審の評決を覆した。

③メディカル・サーベイランスおよび増加した危険について
最後に増加した危険(enhanced risk)およびメディカル・サーベイランス費についてみてみよう。増加した危険とは、汚染水により疾病の危険が増加したことに対する賠償を求めたことを意味する。メディカル・サーベイランス費とは、疾病の早期発見のためには、医療検査を受けることが必要となるが、この費用を求めることをいう。被告のサマリー判決の申立は、当初認められていた。原告の主張する水による危険の増加(水を通じて化学物質の被曝による将来の疾病の可能性)の主張は合理的確率の程度まで証明されていないというのである。これは人間に対する危険な化学物質の被曝に対する補償をどうするか、という問題でもある。1980年当時、CERCLA,いわゆるスーパーファンド法もこうした被害者の救済については何も規定していなかったし、このことが議会で問題となったことはあったが、1987年の判決当時も救済について規定していない。
州の消滅時効(米国ではこれを出訴制限法と呼んでいる )の規定も被害者の救済を困難にしている。時効の起算点を本来の不法行為時点から、原告が被害を知ったとき、あるいは合理的にみて知ることができたとされる時点へと移動させるなどの工夫も行われてきた 。しかし、本問のように不法行為が行われたことを知っている場合には、それに当たらない。
一事件一審理の原則(single controversy rule)も本件のようにあらかじめメディカル・サーベイランス費を請求すると問題となる。その後、発病したとき、あらためて訴えることができるか、という点である。
しかし、こういう障害が将来の疾病に対処するための訴えを認めない理由にはならない。消滅時効を避けるために訴えは起こされているのであるし、一事一審理の原則も、重複した裁判を避けようとするものであるなら、発病の事実が一事一審理の原則を反故にすることはないであろう。同じ被告の不法行為を基礎にし過失責任法理を採用すべきか、という点も問題となる。Negligenceの証明は容易ではないからである。しかし、有毒物質の処分は異常に危険であり、かかる処理場の土地所有者の責任は厳格責任法理の下で処理されるべきであると考えられる 。
原告にとってもっとも困難なのは、有毒物質と被害の因果関係の証明であろう。発ガン物質やその他の化学物質の被曝から発病まで10年20年といった長期の期間が予想されるし、被曝したすべての市民が発病するわけでもないからである。
放射能とガンを例にとって考えてみよう。放射能の被曝がガンの原因となることは一般に知られている。問題は原因ということがどういう意味を持っているかである。ガンになれば原因は放射能というわけではない。その逆に放射能に被曝すればガンに必ずなるわけでもない。被曝量やその他の要素も考えなければならない。さらに被曝から発病までの期間もことを複雑にする。ガンの原因となるその他の物質に被曝したりすることもあるからである。た複数の異なる請求をすることは認められているのである 。

本件では原告は被告の行為で病気に罹患したと主張しているわけではない。数量化できていない増加した病気の危険を、現行法の枠の中でどうやって証明するかという点、メヂィカル・サーベイランスが必要だということについて不法行為クレーム法によって賠償の対象とすることが出来るのかという点を決定しなければならないのである。PE/PSにおいて賠償をどうするかという問題である。

ゴミ処理場から井戸までの化学物質の浸透経路については専門家の証言がある。汚水の危険性についても専門家の鑑定証言がある。ガンを発病する危険性が増加したことについても、またその他の疾病の危険性増加についても専門家の鑑定がある。

疾病の危険の増加については、Highland博士の証言における比喩を使った表現が、危険の増加の意味を我々に理解しやすいかたちで提供されているので紹介しておこう 。
ハイランド博士によれば、化学物質に曝露されるのは、体の中にガンやその他の疾病に罹患するスイッチをもったようなものであるという。このスイッチが何時ONになるかはわからない。長いこと、たとえば10年、20年ONにならないこともある。いったんONになるとなかなかOFFにならない。
細胞の一つでも被曝すると、それが少しずつ増殖していくものと考えられている。

ニューヨークのMount Sinai 病院の医師で毒物治療の専門家 Susan Daum博士は、化学物質に曝露したのであれば、合理的な蓋然性をもっていつかは発病すると鑑定している 。
メディカル・サーベイランスの目的は早期発見、早期治療による延命、治療の可能性の増加、苦痛の除去、予測される障害をできるだけ小さくするなどの効果が期待される。
メディカル・サーベイランスの費用の請求には、不法行為法における損害に当たらないという主張がある。原告の疾病に罹患する危険の増加は充分に確かなものでない限り、メディカル・サーベイランス費もこの危険を根拠にしている以上認められるわけではない、というわけである。
裁判所は「危険の増加」を「損害」として陪審員に評決を求めなかった以上、メディカル・サーベイランスの費用の請求もまた認容されるべきでないということになる。
この問題は損害(injury)とは何か、特に Tort Claims Actにおけるinjuryの意味に関わってくる。1965年Second Restatement 7(1)におけるinjuryの定義はつぎのようなものである:法的に保護された他人の利益への侵害(the invasion of any leggaly protected interest of another)。この侵害(invasion)はもちろん不法行為の結果である。
「危険の増加」がどのくらいのものであるか明確であれば、それは多くの問題を提起しないかもしれない。判例は抽象的に危険が増加した、というだけでは不十分であるとしているのである 。ところが、こうした事案では増加した危険がどれほどのものであるか鑑定証人は、それを計量化してしめすことは不可能であるとしているのである 。
結局ニュージャージ州最高裁判所は、本件における「危険の増加」の請求は抽象的なものであり認容することはできない、との判断を示した。

この判決で話題となった争点に関する議論
①危険の増加
「危険の増加」が具体性をもっていると認定されたものもある。たとえば首に埋もれたままの銃弾の事案では、それが現在のところなんの身体的苦痛も障害ももたらしていないとしても、生命の危険を認めて大きな賠償額の支払を命じた判決 、頭蓋骨の骨折で常に脳髄がもれる可能性があるような事故についての判決 、4才の子供が頭骸骨骨折により、脳内出血(traumatic hemorrhage),将来において5%の確率で疾病(epileptic seizure)の可能性と診断されたとき、たとえその確率が低いものであっても、「それは単なる空想(speculation)や想像(guessing)」ではない、とした判決などがある 。医療過誤においては「リスクの増加(increased risk)」は訴えの十分な根拠か否について大きな議論となっている。判例には、かかるリスクは現実の損害(ガン)とは別の損害を構成するとするものがある 。
ニューヨークタイムズの1986年9月23日の記事によると、ごみ処理場によって井戸が汚染され5人が死に、原告の中の数人が病気になったという事件では、「損害の増加」を理由に訴えた部分は請求を却下(dismissed)されているが、事件そのものは和解で終結しているというものがある 。
アンダーソン事件と呼ばれるこの事件では、合理的確率で危険の増加がないかぎり、かかる請求は認められないと判示されている。安易にかかる訴えを認めれば、訴訟の急増を招来し、また現実に発病する者としない者との間で不均衡が生ずるからである、というのがその根拠であった。
多くの裁判所がアンダーソン事件にならった。アスベストの事件でも「危険の増加」を根拠にした請求を認めなかった 。原子力実験での遺伝子の破壊の主張は、可能性のみであって不十分であるとしたもの 、などである。DESについても同様の判例がある 。
肯定的な判決もあるが、どれも表現の違いはあるものの将来の損害が合理的に確実なものである(50%以上の可能性)を要件としているか、現在すでに症状が現れているもの、放射能の被曝の影響で遺伝子や染色体が壊れ始めているとの鑑定を拒否しようとした被告の申し立てを却下したもの、11年寿命が短縮したとの訴えを認めたものなどがある 。
この問題については学説も多い。学者の多くが毒物中毒に関するコモンロー上の不備を指摘している。それゆえ立法による解決が強く望まれるとの論調が多いという 。
「危険の増加(enhancedrisk)」の請求を明確な基準なしに認めるに好ましくない事態が生じてしまう。損害の発生の恐れだけで請求を認めれば、訴訟の数は急増し、認定される賠償額によっては保険料は高騰するであろう。それにもかかわらず損害が発生しないことも大いにありうることである。特に「増加した危険」の量が不明な場合には、その結果は重大である。
「危険の増加」に肯定的な論者は脅迫(強迫)、不法侵入、精神的ストレス、プライバシーの侵害、名誉毀損など量的に認定の困難な損害にも賠償を認めているではないかと主張する 。しかし脅迫などの事件は実際に起こったことであり、「危険の増加」とはその点が異なる。また現実にならないかもしれない損害の賠償をするわけにはいかない、との反論がある。また「危険の増加」を根拠に訴えを起こして敗訴すると、現実に損害が発生しても賠償を受けられないという危険もある。
結論としては「危険の増加」の請求において、その損害が計量化できないのであれば、認容することはできない、というのが控訴審の判断であり、最高裁もこの見解を支持したのである。

②恐怖の代償
廃棄物処理場近隣の住民が、廃棄物処理場からの化学物質が漏れだし飲料水を汚染し、住民に身体障害をもたらし、あるいは将来において身体障害をもたらす危険を増加させ、近隣の所有地を汚染したことによる損害の賠償を求めて訴えを起こした事件である(1973年9月10日連邦控訴審裁判所判決Sterling v. Velsicol Chemical Corp. )。この事件で興味深いのは、発ガンの可能性が増加したこと、またそれによる原告の恐怖心についてまで賠償を求めた点である。しかし裁判所は単なる発ガンの危険の増加では、賠償の根拠とならないと、かかる請求部分をしりぞけつつ、恐怖心に対しては、それを損害と認め賠償請求を認容したのである 。もっとも同様の事件において発ガンその他の可能性は恐怖心を煽るほどには高くないとして恐怖の代償請求を認めなかった判例もある 。

③メディカル・サーベイランス費
ところが、メディカル・サーベイランス費(これをメディカル・モニタリングと呼ぶ判例もある)については、ニュージャージ州最高裁の結論はまったく異なった。メディカル・サーベイランス費とは、定期的な医療検査による原告の健康診断のための費用を補償しようとするものであり、化学物質の被曝から発生が疑われる疾病の早期発見による治療の開始のものである。鑑定人もメディカル・サーベイランスの必要を証言している。
証言によると、最初の3年間は基礎データの収集、その後毎年の健康チェックが10年間は必要だという 。
控訴審はメディカル・サーベイランス費の請求を棄却したが、その根拠として損害のリスクが確定しておらず、確定しているとしても確率的に小さいことをあげた。しかし、そうなると発病の可能性が大きくないと、疾病が重大なものであっても医療検査すら受けられないことになる。
この問題についてヴェトナムの孤児が航空機事故にあった裁判の中で仮定的事例として議論されている 。

ジョーンズは赤信号を突っ込んできたオートバイに倒される。地面に頭を強打する。病院での検査では脳内に損傷が残る可能性はないという。しかし、ジョージはこの検査費用をオートバイの運転手に損害として請求できないのであろうか? .

実際の事件ではヴェトナム孤児たちは飛行機の墜落事故によって生き残ることができた者もMEDと呼ばれる神経症が残った。ロッキード社は子供たちに医療検査費を支払った。
地裁はロッキード社が医療検査費をその金額を確定せずに支払うべきだと認め、執行を容易にするため45万ドルの基金をロッキード社が提供するよう命じた 。
控訴審もこれを認容、医療検査費用も損害概念に含まれるとした 。
同様の判決はHagerty v. L & L Marine Servis., Inc., でも見られる 。原告であるHagerty 氏はユニオンカーバイトのタンカーマンでプエルトリコのプラントで発ガン物質の中に落ちてしまう。また、後に同じ物質の噴霧も受ける。めまいを感じ、膝に不調を覚え、体の先端部分に鋭い痛みを感じたので医師のところで定期的な診断を受けるようになる。ガンになるのではないか、との精神的ストレスとガンに罹患する「危険の増加」に対する損害賠償を求めて提訴する。控訴審になって精神的ストレスとメディカル・サーベイランス費が認められる。
Askey v. Occidental Chemical Corp.判決 も同様の視点からなっている。ニューヨークのナイアガラという地にあるゴミ捨て場からの汚染の問題で原告はメディカル・サーベイランス費の請求を認められたのである。

結局、メディカル・サーベイランス費はその必要性が信頼できる鑑定人によって認められれば、それを損害として被告に賠償させることは認容できる。ただし、その費用は原告各人によって異なるし、将来におけるサーベイランス費については、若干構成が異なる。それは被曝の程度、原告の年齢、など種々の要素によってサーベイランスの期間や検査内容が異なってくるし、今後何年かするうちに原告の余命がつきることも考えられるから、これを一律に認容することはできない。それゆえ、820万ドルの賠償をサーベイランス費として計上するのではなく、裁判所の管理の下に基金を設立し、そこからサーベイランス費を捻出すべきである。

# by asbesto | 2005-08-13 21:05
暴露後発病前
 アスベストで大きな問題となるのが、暴露後発病前の問題です。ようするに肺にアスベストを吸い込んでしまったことが明らかでも、発病していなければ、賠償請求できないのではないか、と従来考えられてきた点である。これを暴露後(Post Exposure)発病前(PreSyndrome)を約してPE・PS訴訟といいます。
 アスベストもそうですが、こうした事案では暴露した人の100%が発病するとは限りません(発病する前に交通事故で死んでしまうこともあるだろうし、他の病気にかかる可能性もある)。そこで米国の学者の中には予め一定割合の賠償金を払って終わりにしてしまえ、と主張する人も出てきています。必ずしも賛成できるわけではありませんが、かといって何十年も待つことも納得できないし、発病していないのに全額賠償することにも無理があるでしょう。
 そこで、ここでは参考のためにまず、一部賠償の理論(というか計算方法)を紹介し、次に次回の記事でPE/PS訴訟についての米国での潮流を紹介します。
 植木哲教授還暦記念(信山社)論文集中の山口の論文より

 Joseph King教授はやはり早い時期からの「割合的責任」の提唱者であるが、この点について次のような計算式を提唱している 。
まず、第一の計算は、たとえば20歳の交通事故か何かの被害者がいるとする。彼または彼女はこの事故のせいでいつか視力を失う危険がある。たとえば50歳で視力が失われるとしよう。視力の喪失はこの者に100,000ドルの損害をもたらすとしよう。失明がいつおこってもおかしくない確率が30%なら、損失は30,000ドルと計算すべきである。
次に第二の計算である。50歳で失明する可能性が25%、40歳なら4%、30歳なら1%としてみよう。ちなみに失明しない可能性は70%である。50歳で失明したときの損害が、100,000ドル、40歳で失明なら200,000ドル、30歳なら300,000ドルとしよう。現在賠償請求できるのは、100,000ドルの50%と200,000ドルの4%と、300,000ドルの1%と0ドルの70%で36,000ドルということになる 。
# by asbesto | 2005-08-13 20:58
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