去る10月9日日本私法学会で報告したものの読み上げ原稿です。アスベストにも関連しているので、掲載しておきます。ちなみにアスベストに関するフランスの対応についての報告は来週あたりからと思っております。
相対危険度 と疫学的因果関係 山口 龍之 本報告は疫学の概念と法学上の(疫学的)因果関係概念の関連を明確にすることで疫学的調査結果を法律上の因果関係の認定にもとりこめることができるように架橋を試みるものである。 この目的のために次の3点が議論の対象とされる。 問題点1 寄与危険度割合はどのくらいあったら法学に言うところの因果関係の「蓋然性」があるといえるのか? 問題点2 この寄与危険度割合は現実の部分的因果関係における割合なのか、それとも損害発生の確率なのか? 問題点3 危険物質に暴露しながら未だ発病していない原告の損害賠償の訴えや、「チャンスの喪失」のようなケースをどう扱うべきか? しかし、本報告は議論の前提としてまず、現代科学における疫学の概念、とりわけ相対危険度や原因子、危険因子などの概念、これらの複合物であるところの複数の原因子が関与し、疫学でいうところの修飾関係にある場合の議論などが時間の許す範囲内で紹介される 。 問題点1 疫学における因果関係あるいは寄与危険度と高度の蓋然性 タバコと肺がんの因果関係に関する疫学の議論 タバコが肺がんの原因となるということについては、テレビ・新聞などマスコミ報道では周知のことのように扱われている。しかし、われわれは、どこまでこの議論の正当性を知っているのであろうか。 紙巻タバコの長期間にわたる喫煙が肺がんの原因となるという議論はおおむね次のような統計的議論によって裏付けられている:喫煙者と非喫煙者を比べたとき喫煙者のほうが非喫煙者よりもはるかに肺がんに罹患する確率が高い。もっともこの議論を確認するためには本来なら次のような研究がなされなければならない。 ある任意の集団を二つのグループにわけ、一方のグループには一日20本以上喫煙してもらい、他方のグループには喫煙しないでいてもらう。そうしてこの状態で20年くらいの期間が経過したところで、肺がんの発生率を比較する。(コホート研究) 実際にはかような研究は不可能に近いので、これに代わって症例研究という研究がなされている。(ちなみに症例研究の方がその精度はおちるといわれている)。 それは実際に肺がんに罹患した患者たちの中にどれくらい喫煙者がいるか、という調査である。 図表1 危険因子の存在による過剰発生分 (ちょっと見づらいかもしれませんが、1は縦線の代わりです。したがって三つの四角の箱があり、左にはXその隣にはY,Yの上はZの箱が乗っています。それぞれの箱の中に”X” ”Y” ”Z”が入っているそれだけの簡単な図表なのですが、何度やって、このブログにもうまく描けません) 1------------------1 1 1 1 Z 1 1 1 1--------------1------------------1 1 1 1 1 X 1 Y 1 1 1 1 1---------------1------------------1 Z 喫煙者で肺がんで、タバコが原因と疑われるグループ (80人) X 非喫煙者で肺がんになったグループ 20人 Y 喫煙者で肺がんだが タバコ以外が原因と疑われるグループ (20人)( Z+Y=喫煙者で肺がんになったグループ 100人 実際にはZとYの比率は不明 しかし、非喫煙者で肺がんになったものが20人いるのだから(非喫煙者と喫煙者の人口が同じなら)喫煙者の中にもタバコ以外の原因で肺がんになった者が20人くらいいると推定される。 X:非喫煙者で肺がんになったグループ Y:喫煙者で肺がんになったいるが喫煙以外の原因が疑われるグループ、Z:肺がんの原因が喫煙であると疑われるグループ この調査によると肺がんに罹患した者の中に占める喫煙者(一日20本以上20年以上の喫煙暦)の割合(EARPという)は80%を超えているという。そうすると仮に120人の肺がん患者がいて100人は喫煙者だとする。すると20人は喫煙によらずに肺がんに罹患していることが考えられる。なぜなら喫煙者の中にも喫煙以外の原因で肺がんに罹患した者もいるはずでだからある。その数は20人くらいである。そうすると肺がんに罹患した喫煙者にとって喫煙が肺がんの原因であるのは100人中80人だから80%くらいということになる。 疫学的な危険度がこれだけで計られるわけではない。その前提として、次の五つの条件を満たしていることが求められる。 (1)関連の一致性:時間、場所、対象者を選ばないこと。 (2)関連の強固性:関連性の強さを示す相対危険度やオッズ比などの指標が大きいこと。量が増えれば反応も増えるという関係が認められればなおよい。 (3)関連の特異性:疾病には特定の因子が必ず存在しており、これが存在しているときには疾病の発生が予測されるような特異的関係があること。 (4)関連の時間性:因子が疾病よりも時間的に先行していること。疾病の症状を因子と混同しないための要件である。 (5)関連の整合性:因子が疾病の原因として矛盾なく説明できること。 もっとも(3)の特異性の条件は、疾病が必ずしも一つの因子によっているとは限らないこともあり、条件を満たすことは難しい。肺がんに関して言えばタバコのみが肺がんの原因であるわけではない。そこで(3)の条件は緩和されて解釈されている。(3)は十分条件でも必要条件でもない、というわけである。 疫学は病気の原因となる危険な因子を統計的な処理をすることで発見・同定してきた。危険因子とは病原菌や病原ウイルスとは限らないのである。喫煙は肺がんを誘発する危険因子ではあるが、喫煙習慣が肺がんの原因と呼びうるかについては議論があるところである。それゆえ疫学では「原因」とは呼ばず「危険因子」と呼び、「原因」という用語の使用を意識的に避けてきたのである。もっとも高度の危険因子が病気の発生に寄与していることに変わりはない。 さて、こうした条件を満たしたとき、たとえば肺がんに罹患した喫煙者はその原因をタバコ会社に問うために因果関係を証明できたと主張することができるであろうか? 因果関係の証明度には高度の蓋然性が要求される。 そこでわれわれの関心は、たとえば80%の危険度(あるいは非喫煙者より喫煙者の肺がんになる倍率が5倍高い)は、法学上の因果関係を認定するのに十分に高度な数値と解することができるのか、法学上の因果関係を認定するのはいったいどのくらいの危険度があったら、「高度の蓋然性がある」として因果関係を認定してよいのだろうか?法学上の因果関係の認定に数値を持ち出すことは許されるのだろうか?もし、許されるとするならば、何パーセントくらいの危険度をもって「高度な蓋然性」と認定するのであろうか? ちなみに疫学的解釈をする者の間では、民事裁判における証明の度合い(証明度・心証度)は、わが国での「高度の蓋然性」の議論ではEARPが80%を超える(RR=5.0)ものをいい、米国での「証拠の優越」の議論はEARPが50%を超える(RR=2.0)ものをいうのではないか、といわれている。EARP が50%を超えるくらいというのは、たとえば肺がん患者の中に喫煙者占める割合が2倍のことをいい、喫煙者で肺がんに罹患したら、喫煙が原因である確率は50%を超えているということを意味している。(図表1に照らせばYとZの大きさが同じとなる) 問題点2は、現実世界に生起する疾病は往々にして複数の原因に起因している。複数の原因が競合しているとき、それぞれの危険度は原因であったことの確率なのか、それとも幾つかの原因が競合しているので、それぞれの原因が結果に影響を与えている割合ないし部分を示すことになるのであろうか。 相対危険度と複合原因子 複数の危険因子が存在し相互作用をする場合 複数の危険因子が作用する場合には、ある因子が他の因子の影響(これを疫学では修飾という)を受けない場合ばかりではない。互いに競合して危険が飛躍的に増加する場合や、あるいは危険はそれほど増加しないことがある。この場合に影響を与える因子のことをeffect modifier(修飾因子)と呼ぶ。 R:因子X、Yのいずれかに(あるいは両者に)曝露されている場合の相対危険度 図表2 因子X 曝露なし 曝露あり 因子Y 曝露なし 1 R10 曝露あり R01 R11 X に曝露すれば発病の危険が3倍、Yに曝露すれば発病の危険が2倍のとき、両者に曝露すると発病の危険は6倍になるのが通常である。 例1 1 3 2 6 例2 1 3 2 10 2x3<10 例3 1 5 2 6 例4 1 5 2 10 2x5>6 このとき、R01xR10がR11に等しければ、(互いに影響を与えていないので)YはXのeffect modifierではない(例1、4)が、等しくなければeffect modifierである(例2、3)。例2では、2x3>10で正の修飾が働いており、例3では2x5>6で負の修飾が働いている。例1ではXの因子に暴露していれば、罹患の確率は3倍、因子Yでは2倍だから、通常なら両者に暴露すれば罹患の確率は6倍である。それよりも罹患の確率が大きくなる場合を正の修飾、小さくなれば負の修飾と呼ぶのである。 因子XのEARP(暴露群寄与危険度割合): Y曝露なし (R10‐1)/R10 Y曝露あり (R11-1/R01) 例1 例2 例3 例4 (3-1)/3=67% (3-1)/3=67% (5-1)/5=80% (5-1)/5=80% (6/2-1)/(6/2)=67% (10/2-1)/(10/2)=80% (6/2-1)/(6/2)=67% (10/2-1)/(10-2)=80% 例2および例3では、因子XはYの曝露なしでは曝露群寄与危険度割合がそれぞれ67%、80%であったものが、Yの曝露によって、それぞれ67%->80%、80%→67%に変化している。この増減は、Yの影響によるものであるから、例2および例3においてYはXのeffect modifierと呼ばれることになる。 たとえば、法的に責任が問題となっている被告側に起因する危険因子をXとし、Yをeffect modifierで原告側に起因する危険因子ないし負の危険因子とすると、例2では、Yの曝露によって危険はXとYの危険因子が単に並存する以上に増大したことになる。 例えば 仮に杉花粉症をめぐって、Xを杉花粉、Yをマンション居住とすると、例2のような結果がでれば、杉花粉症は、杉花粉のみならず、マンション居住によって飛躍的に悪化したこととなる。それゆえ、杉花粉症では、杉花粉の暴露は避けられないとしてもマンション居住をやめることで症状が改善することが予測されるのである。また、逆に例3にあてはまる事案として、喘息を疾病、Xを大気汚染としながらも、Yを喫煙の慣習として、それらが例3の場合に当たるとするならば、喫煙は喘息の危険因子としてあるにしても、大気汚染との関係では負の修飾因子としてある、ということになる。 大気汚染の喘息に対する寄与危険度は喫煙者の場合の方がはるかに小さくなり、因果関係において、高度の蓋然性を80%以上の危険度とすると、喫煙者・非喫煙者の双方を合わせた統計では、大気汚染は喘息の高度の危険因子(80%)であったものが、喫煙と喘息の統計および、これと大気汚染を合わせた統計では、喫煙者の場合、大気汚染は喘息の原因とは認定できない(危険度が67%にすぎない)といった結果を招きかねないことになる。そこでEARPは確率ではなく結果に対して原因子が与えている影響度と考える発想が出てくる。 こうした状況下で特定の物質を原因物質として訴訟を提起した場合、疾病という結果に対して裁判所はいかなる割合で、あるいは割合を認定することなく因果関係を認定すべき(あるいは認定すべきでない)のだろうか? 問題点3 危険物質に暴露しながら未だ発病していない原告の損害賠償の訴えや、「チャンスの喪失」のようなケースをどう扱うべきか? 1 PE/PS訴訟 post-exposure, pre-symptom被曝したが発病していない人々の様々な訴えのことである。米国では、PE/PS訴訟において、疾病のリスク増加に対する賠償 、病気の恐れ 、「生命の質」低下に対する賠償を求めて訴訟が争われている 。 PE/PS訴訟が米国で最初に注目を浴びたのは1987年ニュージャージ控訴審裁判所のAyes v. Township of Jackson 事件 であろう。水質汚染によって汚濁された水を飲んでいた原告団(339人)に対する医学上の監視体制(水による疾病の監視)のためのコストなどを町に対して請求した事件である。原告の中には発病した者はまだいない。 Ayes v. Township of Jackson 事件 第一審では原告勝訴、控訴審も若干の修正はしたものの原告が勝訴した。ニュージャージ州最高裁も、おおよそ原告勝訴の判決を出した。すなわち(1)発ガン物質その他の化学物質による心情的損害(emotional distress)についてはこれを認めない、(2)住民の「生活の質」(quality of life)が20ヶ月も井戸水などの水のない状態(水道水ももちろんなかった)こと(539万ドル)、(3)有毒化学物質の曝露による、将来の疾病の「危険の増加(enhanced risk)」に対する健康診断のための費用については、賠償(総計約820万ドルを339人がそれぞれの被曝の度合いに応じて支払われる)を認める原審の判断についてはそれぞれ損害額について確定不能な部分があるとして一部認容、一部棄却の判断を示した。 事実は次のようなものである。町が1972年新たに廃棄物処理場(ゴミ捨て場)とした地域は環境保護局DEP(Department of Enviromental Protection)から仮の許可を得たものではあるが、それには工場から出る液体およびゲル状の物質の処分までも許可するものではなかった。町は、しかし、このサイトを十分に監視することをしなかった。町がDEPの条件を遵守していなかった証拠がある。 原告の鑑定人によると、近隣住民の井戸水はアセトン、ベンゼン、クロロベンゼン、クロロフォルム、メチル水銀、トリコロエチレンその他の化学物質によって汚染されるようになった。これらの物質はおそらくごみ処理場から地下に浸透して原告らの井戸に到達したものと推測される。毒物学者によると発見された化学物質のうちの12は発ガン物質として知られている。そのほか肝臓、腎臓に有害な物質、遺伝子を破壊し、出産等の能力を減退させる物質、皮膚に有害な物質、神経組織に有害な物質なども発見されている。鑑定人はこうした化学物質の被曝を原因とする疾病は、年毎の検査によって早期の発見が可能であり、それによって看護、回復あるいは余命の延長が可能であるという。 この判決の問題点 @被害発生前に賠償できるのか?(判決は割合的責任による賠償を拒否、しかし検査費用の請求は認める) @疾病の危険も損害と言えるのか?判決は否定。学説には、疾病に罹患する危険の増加が、ある程度以上になれば賠償は必要なのでは?疾病の自然発生率がx%のとき、暴露によって2x%になれば賠償してもよい(他の判例)にはどのような根拠があるのだろうか? 2 危険の増加の議論 危険の増加の議論とは、発病の可能性が被曝前よりも増加したなら、それ自体を損害と捉えて賠償していこうというものである。 a 新たな提案(割合的責任論) .Joseph King教授の提案は次のようなものであった。 まず、第一の計算は、たとえば20歳の交通事故かなにかの被害者がいるとするとき、彼または彼女はこの事故のせいでいつか視力を失う危険があるとする。視力の喪失はこの者に100,000ドルの損害をもたらすとしよう。失明がいつおこってもおかしくない確率が30%なら損失は30,000ドルと計算すべきである。 次に第二の計算である。50歳で失明する可能性が25%、40歳なら4%、30歳なら1%としてみよう。ちなみに失明しない可能性は70%である。50歳で失明したときの損害が、100、000ドル、40歳で失明なら200,000ドル、30歳なら300,000ドルとしよう。現在20歳の被害者が請求できるのは、100,000ドルの25%と、200,000ドルの4%と、300,000ドルの1%と0ドルの70%で36,000ドルということになる。 b 割合的責任論に対する批判 割合的責任論に対する批判の第一は、原告がその後発病した場合、結局発病していない者も賠償を得ているので不服はないだろうが、発病した被害者はさらなる賠償を求められないという不都合が生じないかという点である。第二には、メディカル・サーベイランス費(年毎の検査費用)のように、いつまで続くかわからない費用をどうやって認定していくのか、被告は賠償を払い続けていかなければならないのか、という点である。後者については、古典的不法行為であっても認められる余地があるので、ここでは取り上げない。問題は第一点であろう。 割合的責任の理論は、現在なんら疾病に苦しんでいなくとも賠償が認められ、発病の可能性が50%を切っていても賠償され、たとえ発病していても発病との因果関係が寄与危険度割合で50%を切っているときでも、全部ではないにしても賠償されるという考えに対する疑問である(古典的不法行為の理論では50%以下なら因果関係は認定されない)。 この問題の背景にあるのは、割合的因果関係(部分的因果関係)を認めようという点である。10年後、20年後に発病しても、原因は被爆と部分的に因果関係ありだから責任ありという認識である。「危険の増加」は疫学的に言えば、その後のさまざまな危険因子の被爆によって発病の可能性が飛躍的に増加したり、そうならなかったりするのである。ようするに発病の原因は被爆に特定されない限り責任は認められないという発想をすてよ、ということなのである。 しかし、この論争は未だ決着を見たとは言いがたい。 3 チャンスの喪失の議論 1 チャンスの喪失の理論とは、 チャンスの喪失の理論とは、主として医療過誤の分野において医師の懈怠によって検査やその他の処置がなされなかったために救命あるいは延命の機会を喪失したという場合の賠償のための理論である。ここでは議論を簡単にするために患者は死亡したとしよう。そこでは、検査や医療処置がなされたとしても治療によって患者が回復したという保証がないとき、すなわち医療処置の不作為と損害との間の因果関係の証明が証明度の要求を高くすると困難になるとき、そのままでは賠償を得られないことになる。そこで必要な検査をしなかったことや、処置をしなかったことが被害の危険性を増加させたと捉えることで因果関係を認定しようとするものである。事実上の因果関係の証明の緩和となる 。たとえば必要な検査をしたとしても救命の可能性は50%よりも低かったというような場合、証拠の優越の理論を採るとしても検査の不在と患者の死亡との間の因果関係は証明されたことにならない。ところが、チャンスの喪失の理論なら生存のチャンスを減少させたこと自体が損害だから、必要な処置の不在と損害との間の因果関係は認定できることとなるのである 。 たとえば、検査することを懈怠したことによって、患者が生存し続けていたであろう機会を20%(検査していたとしても生存できた可能性は20%にしかすぎないという疫学的調査研究 )失ったなら、この20%の生存のチャンスを損害と解するものである 。 この考え方は原因と結果の間の因果関係が20%だけ証明できたとする部分的因果関係の理論と似ておりながら否なるものである。チャンスの喪失の理論の射程は広く、たとえばオートバイの運転者がヘルメットをしていたら、損害はより小さなものであった、といった場合にも応用が可能である。 2 チャンスの喪失の理論の位置づけ まず、チャンスの喪失は不作為を扱う議論である。また実際に起こらなかったことが、もし起きていたら被害者の権利は侵害されなかったであろうという仮定的議論である。ところが、この不作為が無くとも患者は死亡した可能性がある場合、その可能性、その確率こそが、奪われたチャンスということになる。それは視点を変えれば、患者の死因における不作為による侵害は部分的にとどまる。けだし、かかる侵害がなくとも患者が死亡したであろう可能性(患者は必要な処置を施されていても死亡した可能性)があるからである。奪われたのは処置をすれば「助かったであろう可能性」である。それゆえ、「奪われた」という部分に注目すれば、それは生存の権利に対して侵害は部分的であり、奪われたのは生存の「可能性」という部分に注目すれば、それは確率的である。 小括 PE/PS訴訟やチャンスの喪失の理論において注目すべきは疫学的因果関係が「実際には未だ発生していない損害」を対象としたり(PE/PS)、あるいは、「ある処置がなされていたならば、もしかしたら違った結果となっていたかもしれない(チャンスの喪失の理論)」のように仮定的な条件のもとで、異なる結果となっていたであろう可能性を疫学的手法で探ろうとするものである。 本報告の結論 問題点1にいう相対的危険度割合とは、疫学的調査では100%の危険度ということはほとんどなく、ある事象(原因)に呼応するかたちで発生する次の事象(結果)はあくまで確率的数値でしかないという点である。法学はこの調査結果に対して何か質的な変化を要求することで法学的な意味での因果関係を認定しようとしているのだろうか? 問題点2は、現実世界に生起する疾病は往々にして複数の原因に起因している。疫学的調査結果が示す数値を疾病の原因である確率ととらえるか、それとも疾病の原因の一部と解釈するかで、法学における因果関係の認定は大きくことなってくる。実際にも米国ではアスベストを原因として起こした肺がん患者の訴えが患者の死後解剖において患者の喫煙による癌とアスベストによる肺気腫・癌の双方が患者の肺で発見されるという事態も起こっている。そこで、疫学的研究の結果をいかに解釈するかが問題となる。 問題点3は、議論の前提となる因果関係が実際にはまだ起こっていない場合、および、もしかような因果関係が正起していたら、という(仮定的)問題に対する解答を求めるものであるが、ここでも統計上の予想が仮定の問題に対する一定程度の起こらなかった事象あるいはまだ起きていない事象に対する予測値を提供する。 本報告の主眼は、疫学的調査・研究が、法が適用される具体的事案において、新たな法の解釈と評価の可能性を与えてくれるものであると考えているところにある。本報告の意図はここに提示した問題のすべてについて確定的な答えを提供することにはなく、あくまで科学の進歩によって新たに開かれた地平において、いかに法がその世界を法化していくか、その入り口を示すことにあった。法曹による熱い議論がまたれるところである。 by asbesto | 2005-10-21 10:16
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